5月22日(土)、石蔵ブックカフェ開催しました。
異常に早く梅雨入りした南九州。当日の予報は曇りでしたが、見事に予想が外れて朝から雨でした。そのせいで、お客さんの入りもまばらでした。
今回の本のテーマは「海外への誘い -翻訳もの・外国テーマの本」でした。この写真にあるような、海外体験を描くタイプの本は、自分の経験したことが土台になっているので、特に鋭い分析とかなくても面白いですよね。
ところで、最近はお客さんが結構多くて忙しかったのですが、先ほども書いた通り今日は雨だったからかお客さんが少なく暇でした。しかし全くお客さんがいない時間帯はそれほどなかったために、なんだかいつもよりお客さんとペチャクチャしゃべってしまいました。
というわけで、今回は趣向を変えて、お客さんとした話のことを書いてみたいと思います。
朝にフラリと現れた年輩の紳士。聞けば60数年ぶりにこの万世に帰ってきたと言います。家は東京の代官山だそうです。お名前が「谷口」だったので、「もしかして谷口宝石の…?」と水を向けてみると、なんと谷口宝石の一族の方でした。
谷口宝石というのは、万世発祥で日本を代表する宝飾企業です。大正時代に、万世の谷口萬吉(満吉だったかも? 「タニマン」と呼ばれた)という実業家が起こしました。タニマンは大正時代に、若くしてアメリカに渡って宝石製造・販売を学んだそうです(確か宝石を研磨する機械を持ち帰ってきたんだったと思います)。大正時代にアメリカに渡るっていうのがスケール感が違いますね。
そして万世、追って全国に商売を広げ、タニマンの会社は「谷口ジュエル」というと日本で最も大きな宝飾企業となっていきます。今の顕証寺の裏手に家があって、とんでもない豪邸だったそうです。床の間の壁に宝石が埋め込まれていたと伝えられます。
この紳士は谷口家の分家で、航空自衛官、谷口ジュエルの経理業、不動産業など様々な仕事をやってこられ、波瀾万丈の人生を歩んできたそうです。その身の上話が面白いのなんの。
また、私(南薩の田舎暮らし 窪)も直接は知らなかった谷口宝石の在りし日の話は大変興味深かったです。特にすごいなと思ったのは、なんと谷口宝石は戦時中に日本軍に航空機を寄贈したことがあったということです。航空機を寄贈ってどんだけ金持ちだったんでしょう…。
という話を丁子屋のおばあちゃんと話していたら、「実はうちの実家も寄贈しておりますのよ、水上艇でした」とのこと。おばあちゃんは市来の豪商海江田家から丁子屋にお嫁に来たのですが、海江田家も戦時中に水上艇を日本軍に寄贈したとのこと。航空機を寄贈、というだけでもビックリなのに、「うちも寄贈してます」って話が繋がってくるあたり、スケールが違いすぎてもう大笑いしてしまいました(笑)
また、営業終了間際には、先日取材を受けたMBCラジオの某レポーターの方がご夫婦でご来店くださり、その際にお世話になったこともあってつい話に興じてしまいました。テレビやラジオの話、私が川田達也さんとやっている「鹿児島磨崖仏巡礼」の話など、随分楽しく(騒々しく)しゃべってしまいました。
本来、石蔵の静かな雰囲気で本やコーヒーを楽しもうという場なんですが、つい楽しくなってその趣旨を忘れ、話が盛り上がってお客さんよりペチャクチャしゃべってしまうのが私の悪い癖です…。レビューで「店員さんがお客さんそっちのけで私語している店」と悪口を書かれてしまうタイプのお店でしょう…。気をつけたいと思います!!!
ところで今回、南薩の田舎暮らしでは毎年人気の「南高梅とりんご酢のシロップ」、「南高梅のコンフィチュール」を販売しました。「待ってました!」という声もいただき、大変有り難かったです。
ちなみに谷口宝石は、事業継承がうまくいかなかったりで、かつての栄華も虚しく三代で終わってしまいます。今でも「谷口ジュエル株式会社」は残っていますが、これは事業売却されているため名前は残っているものの谷口一族は関与していません。
万世から日本を代表する宝飾企業が生まれたことを知っている人も少なくなってしまいました。このあたりの歴史は誰かに書き残してもらいたいですね。
次回は6月26日(土)、10:00〜19:00です。また石蔵でお会いしましょう。
【今日の一冊】
『うらやましい孤独死』森田洋之 ← なんと2ヶ月連続!
『日蝕』平野啓一郎
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