3月25日(土)、石蔵ブックカフェ開催しました。
当日は、桜が咲き誇る春爛漫の好天……だったらよかったのですが、雨こそ降らなかったものの、肌寒い花冷えの空模様でした。でも天気予報では雨の可能性もあったので、天気が持ってなによりです(撤収中に小雨が降り始めました)。
今回の特集は「古地図の世界」でした。
古地図といっても、戦後の地図の特集です。戦後というと歴史全体から見ればそんなに長い期間ではありませんが、今年は戦後78年。78年もあればかなりの変転があります。
日本の場合は島国でほとんど国境の変化がないので、国境が変わるということ自体ピンと来ない感じもありますよね。しかし実際には国境はかなり変わります。
こちらは昭和28年(1953)の「最新世界地図」。ちょうど70年前です。
今とは一番違っているのが、ソビエト連邦があることと、アフリカの様子です。
現在戦争中のウクライナはこのようになっていました。カスピ海周辺のカザック共和国(現カザフスタン等の諸国)も今とは随分違います。ロシアを含むこれらの国々は、ソ連崩壊後には「独立国家共同体(CIS)」として国家連合を作ってきましたが、ロシアの侵攻後にはウクライナはCISも実質的に脱退。このあたりの地図は来年どうなっているかもわかりません。
こちらはアフリカ。サハラ砂漠を中心に広大な「フランス領西アフリカ」が広がっていること、アフリカ東部がイギリス領(とはこの地図には書いてないですが)の地域になっているのが今とは全然違います。
コンゴもこの時はベルギー領ですね(ただしコンゴは、ベルギー王室の私領(!)だったのでイギリス領とかフランス領とはちょっと違う)。
これらの国々は1960年代から70年代にかけて次々と独立することになります。かつてアフリカはヨーロッパ諸国の植民地として辛酸をなめたことが地図を見るだけでよくわかります。
こちらはちょっと前の別の地図ですが、アラビア半島の様子。こちらもけっこう違います。オマーン(この地図ではオーマンの表記)の国境は確定しておらず、アラブ首長国連邦、バーレーン、カタール、イエメンがありません。ついでにクウェートもまだないですね。
この地域は石油の産出で急速に発展し、ずいぶん様変わりしたわけです。
ちなみに1993年に独立が承認されたエリトリア(この地図ではエリトレア)が、この地図ではすでに独立国として扱われているのが不思議です。
一方、こちらは戦後すぐの鹿児島市街地の地図。これは眺めているだけでかなり面白いシロモノ!
当然のことながら、変わっている部分が多く、でも変わらないものもあり、見ていて飽きません。例えばこちらは西鹿児島駅こと、現在の鹿児島中央駅付近。
中央駅西口は、今では新幹線も通っていて、このころの面影はあまりないです。「西郷旧邸」と「武大明神(現建部神社)」あたりがかつてを偲ばせます。
東口の方では、甲南通りがないことが意外でした。あの変な接続の道、昔からの道かと思っていました。調べてみたら戦後の復興事業として急遽造成されたものだそうです。もうちょっと接続をよく考えて欲しかった!
話が変わって、こちらは、私(南薩の田舎暮らし 窪)が住んでいる大浦町の地図です。
この地図の真ん中くらいに、四角く囲まれた海がありますが、これが造成中の「大浦干拓(第2工区)」です。これは、ちょうど潮留めを作ったところで、まだ干拓の中が海だったタイミングの貴重な地図!
また、よくみると大浦町と笠沙町の間の境界が、干拓地のところで途切れているのもわかると思います。これは造成した干拓地を、大浦町と笠沙町で取り合うという境界紛争があったため。
なんでこんなことが起こったかというと、干拓事業が計画された時は大浦町と笠沙町は一つの村(笠砂村)で、事業の遂行中に大浦村が分村したためです。そして事業自体は国営事業だったので町村分離の影響を受けていません。よって完成した干拓がどちらの町に所属するか争うということになったわけです。地図には歴史が詰まっていますね。
先ほど、「日本の場合は島国でほとんど国境の変化がない」と書きましたが、南西諸島以南については戦後アメリカ統治でした。地図をみても屋久島の南に国境線があります。
昭和28年に奄美群島が日本に返還され、その約20年後である昭和47年に沖縄が返還されました。当時の沖縄・奄美は外国だったのです。
この国境線の変動は平和的なもので、日本にとってもちろん喜ばしいことでしたが、世界地図を眺めてみると、国境の係争・変更、国の建国・消失は住民にとって喜ばしいものでないことが多いのはもちろんです。現在、ウクライナ戦争を一つの焦点として、台中問題も深刻な局面を迎えており、10年後の世界地図がどうなっているか予想もつきません。落ちついた世界であるように願わずにはいられません。
いろんな地図を見ていて「最新世界地図」「新世界地図」など”新”がタイトルに付されているのが多かったのも印象に残りました。国境はコロコロと変わってしまうことをタイトルが表していますね。それにコロコロと翻弄されるのが人間です。
このように、個人的にはとっても面白い地図の特集でしたが、お客さんはあまり地図は見てなかったかも!? しかし昔の地図は新刊書店には売っておりませんので、古地図は極めて古本屋的であり、とても意欲的な特集だったと思います。
さて、南薩の田舎暮らしでは「南薩コンフィチュール”金柑とたんかん”」を販売いたしました。600円。決して安いジャムではないのに、「これ美味しいから〜」と買って下さる方が多く有り難いです!
↓ネットショップでも販売中です。 http://nansatsu.shop-pro.jp/?pid=73077623
今回、いつもと違う商品としては、こちらの「柑橘風味のシロップ」がありました。これは、「たんかんオランジェット」を製造する際の煮汁です。今までは捨てていましたがもったいないので試験的に少し販売しています。副産物なので400円で安いです。黄金色で綺麗ですよね。ちょっと売れました!
なお今回は、石蔵ブックカフェにあわせて丁子屋さんが行って下さっている「丁子屋石蔵講演会」の終了後にお客様が急に混んで、カフェ部門はたいへんアタフタしてしまいました。注文をお待たせして申し訳ありませんでした。
次回の「丁子屋石蔵講演会」には、笠沙で日の出や野鳥を中心に写真を撮っている「イチローさん」こと橋口一郎さんが登場します。お楽しみに!
次回は4月22日(土)10:00〜19:00、また石蔵でお会いしましょう。
【今日の一冊】
初島佳彦・川原勝征 『南九州 里の植物』
南日本新聞社編『アダンの画帖 田中一村伝』
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